音楽の経歴
・中学3年の一年間吹奏楽部に在籍~弦バス(ダブルベース)とドラムを担当したが、コンクール本選にて大失態。
・高校は新設校の一期生で課外活動部すらほとんどなく、したがって今で言う帰宅部で音楽気(おんがくけ)は無し。
・大学は一回生から応援団が仕切る学生寮に入ってしまった。同じく音楽気無し。
・就職した年の冬のボーナスでビゼーの「アルルの女」が吹きたくてフルートと、おまけでトランペットを買ってしまった。結果、フルートはやっと音が出た程度、トランペットは「巨人の星」のテーマ曲のはじめの8小節がなんとか吹けた程度で終わってしまった。
・30歳の時ひょんなことから町の楽器店でヴァイオリンのセットを買ってしまった(当時の価格で35万円ほど)!。楽器屋のにいちゃんが「良い先生がいるので紹介する」と言ってくれて習いに行くことにしたが、当時は大人からヴァイオリンを習うなんて言うのは常識的でなくて、しかも男がヴァイオリンを~なんて、という世間の感覚であった。紹介していただいたその先生でさえも『そのお年でヴァイオリンはきついので、まだピアノの方がものになる可能性はありますよ』ってな具合であった。
・それでも3年ほどそれなりに続けて篠崎ヴァイオリン教本(1~4巻まである)の4巻に入った頃、ピアノとチェロも始める。同時に上記の教室の先生の依頼で4歳から高校生くらいまでの生徒に2年間ほどヴァイオリンの基本指導をした。
・その後後から入ってきた大人の女生徒さんに疎まれて結局人間関係が邪魔くさくて僕の方がやめてしまった。
・40歳で結婚後、妻が通い始めたピアノ教室に妻に誘われて通い始めてしばらく経った頃、中孝介さんの「記憶」という曲を聴いてこれだと思った。男性と女性のハモリが見事で自分もやってみたい、いや、やりたい、でもパートナーは?ピアノの先生も歌がお好きだったらしく、『わたしやります』とこと。二人の歌の共演が始まった。
・っと思ったのだが、そのレッスン風景を教室の外で聞き耳を立てていた妻が『二人で何をうなってるの~~』とコメント。まあ、出始めはこんなもんか。
・その間、オーボエを週2回の頻度で京都音楽院まで習いに行く。3年ぐらいは続いたかな。それなりの音でバラードぐらいは吹けるようになったつもり。
・長女が結婚するにあたり、「披露宴にてヴァイオリンを弾いてくれ」と依頼された。10年近くヴァイオリンの教室から遠ざかっていた(時々独学ではやっていたが)ので急遽新しく近くで若い先生の教室があったのでまた通い始めた。
・したがってこの頃はヴァイオリン、オーボエ、ピアノ、歌を同時並行で習いに行っていたことになる。
・歌は今現在50曲ぐらいは歌ってきたかな。そのうちの8割ぐらいの曲はそれなりの環境で収録してCDに保存し、車や職場で聞いて自己満足の世界に浸っている。機会があればご紹介したいと思うが、著作権の問題でどうしたものか?
・とにかく今までやってきた、または触った楽器は歌も含めてリコーダー(ソプラノ、アルト)、ハーモニカ、鉄琴、木琴、オカリナ、弦バス(ダブルベース)、ドラム、ほら貝(地元の祭りでオオガイを吹いた)、ギター、フルート、トランペット、オーボエ、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、ピアノであり、今現在続いているのはヴァイオリン、ピアノ、歌である。
・これからも頑張るでp(^_^)q
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